念願の長野県立美術館東山魁夷館へ東山魁夷画伯の絵に会いに
ずっと行きたかった「長野県立美術館東山魁夷館」へ東山魁夷画伯の絵を見に行ってきました。
前回、東山魁夷画伯の絵を美術館で見たのは2018年に京都国立近代美術館で開催されていた「生誕110年東山魁夷展」でした。
(京都国立近代美術館 東山魁夷展(2018年8月29日~10月8日)開催時の写真)
このときは、旅ついでにふらりと立ち寄ったところ…その魅力にすっかり魅了されてしまいました。
そのときの解説の中にこんな言葉がありました。
『描くことは祈りであり
それであるならば
そこにどれだけ心をこめられたか』
(生誕110年東山魁夷展の解説より)
この言葉が忘れられず、また『道』という絵が素敵ですっかり東山魁夷画伯に魅了され、長野県立美術館に行きたい…
そこから2019年の独立などもあり慌ただしく時が過ぎ…
ようやく2024年に長野県立美術館東山魁夷館に行くことができました。
意外に遅咲きだった東山魁夷画伯
東山魁夷画伯といえば、とても有名な印象ですが…
「実は画壇に認められたのは、意外にも遅く、1947(昭和22)年≪残照≫が日展で特選を受賞、政府買上げとなった。この後1950(昭和25)年、代表作≪道≫を発表し、一躍「国民的画家」とまで呼ばれるようになった。その後は、皇居宮殿壁画や唐招提寺御影堂壁画など、数多くの大作を手掛けた」(東山魁夷館パンフレットより)
とのことです。
≪残照≫が日展で特賞を受賞した1947年は、東山魁夷画伯39歳
≪道≫を発表された1950年は、東山魁夷画伯42歳のときのことでした。
「残照が特選を受賞し、政府買上げとなるまでは、画家としてあまり成功していなかった」とも紹介されています。これ以前には、東山魁夷画伯は相次ぐ肉親の死、第二次世界大戦への招集、訓練に明け暮れる壮絶な日々を送られていたそう。
その後、実力が認められてからは皇居宮殿壁画など数々の大作を手掛けられています。
心をこめること
こつこつと続けることの大切さ
先ほどの言葉が響きます。
数々の大作を仕上げられた後
1987年東山魁夷画伯79歳のときに家蔵の自作500点余を長野県に寄贈
そして…
1980年長野県信濃美術館(現在の長野県立美術館)に併設して「東山魁夷館」が開館しました。
1997年東山魁夷画伯89歳のときにはさらに自作400点余を長野県に寄贈
1999年に90歳で死去されました。
長野県立美術館東山魁夷館の魅力
美術館の建築が美しい
東山魁夷画伯のスケッチや下図をみることができる
季節ごとに展示コレクションが変わる
室内でソファに腰かけて美しい庭も堪能できる
ずっと行きたかった「長野県立美術館東山魁夷館」はとても素敵な場所でした。
また次のコレクションを見にいきたいと思います。